田舎っぺの歴史
田舎っぺうどん創業のきっかけ
田舎っぺは元々【料理屋田舎っぺ】(居酒屋) として昭和49年にスタートしました。 初代は調理師免許は持っていましたが、どこかの飲食店に修行に行っていたわけでもなく、魚をさばいたりするのもほとんど独学でした。子どもの頃はよく、正月などに魚をさばいて刺身を作ってくれたり鍋を作ってくれました。ですが、子どもの目線から見ても決して上手な作品ではなく、どちらかというと素人が豪快に作った料理という印象でした。
夢は小料理屋として成功させること
元々、初代はさまざまな仕事を転々としており、食品の卸業などもやっていました。その過程で飲食店にも興味がわき、そこで持ち前のバイタリティーで家賃の安い店舗を探し、自身でお店を改装し小料理屋として成功させようと奮起しました。しかしながら、近所の人が集まる居酒屋まではいきましたが、 夢の小料理屋の実現は叶いませんでした。その頃、道路交通法が改正され、飲酒運転の罰則が厳しくなりました。 初代はこの時に「飲み屋はダメだな」と実感しました。料理屋田舎っぺの最終日の売り上げは600円でした。ビール1杯しか売れなかったと。
手打ち[めんこ]の店 元祖 田舎っぺ
うどん屋として再スタート
このお店を再利用し、なにかできないかと考えていたところ、初代の仕事の繋がりで、趣味で手打ちうどんを披露してくださる師匠がいました。その師匠を見よう見まねで3回程度練習し、お店を【手打ち[めんこ]の店 元祖 田舎っぺ】と変名し、うどん屋として再スタートしました。
きのこ汁うどんをきっかけに
大人気店へ
当初は、お客様の来店はほとんどなく、お昼に初代の奥様である女将さんが【編み物】ができるほど暇でした。おつゆも1タンク(16リットル)くらい作ったとしても(80人前)1週間経っても売り切れず、廃棄になっていました。初代は売り上げがないので、お店は女将さんに任せ、食品卸業の仕事を兼業していました。そのような状況でもアイデアを出し続け、多数のメニュー(天ぷらうどん・力うどん・けんちんうどん・茄子汁うどん)試していましたが、どれもイマイチでした。根気強く挑戦し続け、どこかでヒントを得た【きのこ汁うどん】がようやくお客様に認めらるとようになり、その当時バブル景気の後押しもあり、営業のサラリーマンに瞬く間に広がり自動車会社のサラリーマンを中心に、お昼になると行列ができるようなお店へと成長しました。
北本市に2号店、熊谷市に3号店を出店
そこから数年後に北本店という2号店ができ、熊谷市に3号店をオープンさせました。その頃には、あちこちに田舎っぺうどんをモチーフにしたうどん屋さんが現れました。続きはブログでご覧ください。